NIPPAN
RECRUITING

Project

可能性の
本箱」。

箱根町・中強羅。老舗旅館やリゾートホテルが軒を連ねる温泉街の一角にある、まったく新しいコンセプトのホテル。それがブックホテル「箱根本箱」だ。館内にある1万2000冊の本の選書、手配のみならず、ホテルの開業から日販グループ主導で行った大型プロジェクト。そのリーダーに抜擢されたのが、当時29歳だった日本出版販売・リノベーショングループ染谷拓郎だった。

染谷 拓郎プラットフォーム創造事業本部
兼 (株)ひらく 代表取締役社長
※当時 リノベーション推進部
2009年入社

日本出版販売(株)に入社後、カルチュア・エクスペリエンス(株)(当時:(株)MPD)に出向し、物流事業に従事。2015年にリノベーショングループの立ち上げに参画。「箱根本箱」開業のプロジェクトマネージャーを務めた。本と映画と音楽をこよなく愛する。

取次の会社が、なぜホテルを?取次の会社が、
なぜホテルを?

「プロジェクトDというのが、当初のプロジェクト名。なぜDかというと、もっとも実現可能性が低い案だったからなんです」

2015年4月、箱根山の噴火の影響もあり、事実上赤字経営が続いていた日販グループの保養所「あしかり」。売却が検討されるなかで、もっとも実現性が低いとされていたのが、ブックホテルとしてリノベーションする案だった。
折しも2015年、日販グループでは、リノベーショングループが新たに立ち上がっていた。

「単に空間をリノベーションするのではなく、本の読み方とか、あり方をリノベーションしていこうというのがミッション。そこで、リノベーショングループが音頭をとって、『あしかり』をブックホテルにできれば、フラッグシップモデルになると考えたんです」

「取次の会社が、なぜホテルを?と何度も聞かれました。でも、取次の会社だからこそ、やる意義があると思いました。本というのは、誰かの想いがカタチになったもの。僕たちの本業である、本を届ける仕事は、誰かの想いに触れる『時間』を届ける仕事だと思うんです。僕たちがブックホテルで提供するのも、誰かの想いに触れる『時間』。実は、取次の事業と地続きなんですよ。ブックホテルをつくることで、日販グループ全体にシナジーを生む狙いがありました」

100頁を超える提案書。奔走した数百時間。100頁を超える提案書。
奔走した数百時間。

リノベーションには、億単位の投資が必要になる。費用対効果は得られるのか。ホテルマネジメント業のノウハウがない状況で、本当に実現できるのか。そもそも、日販グループがやるべきことなのか。問題は山積みだった。だが、D案の実現のために、染谷は奔走した。

「観光学を学ぶために、大学教授に話を聞きに行ったり、インターネットの記事や論文をかき集めて、壮大な提案書を作りました。箱根の平均稼働率や、強羅のエリアの特性、ホテルを運営する際の人件費など、パワポのスライドでいうと全部で100枚くらい。調査会社に一切頼らず、すべて自前で。気が遠くなりそうな作業でした」

2016年1月に提案書を提出し、12月に決裁が降りるまで、経営会議は3回。取締役会は2回。その間の打ち合わせの回数は数えきれない。毎回会議のための資料作成、社内の根回しに、染谷は駆けずり回った。

「会議をするたびに議案が生まれ、それを潰し、また議案が生まれ、というのを延々と繰り返しました。途中で頓挫しそうになったこともありました。でも、絶対に実現させるんだという決意は揺らぎませんでした。リノベーショングループを率いるグループリーダーをはじめ、頼もしい上司やメンバーに恵まれていたから。やると決めたら、絶対にやる。チーム全体に、そういう強い信念がありました」

極論、本を読まなくてもいい空間。極論、本を読まなくても
いい空間。

何度も議論を重ねるなかで生まれたのが、「本のある暮らしを提案する」というコンセプトだ。だが、滞在したお客さまに、本を読んでいただかなくてもいいのだと染谷はいう。

「箱根の山を登り、おいしい食事をし、温泉に入る。気持ちがゆったりとした後で、じゃあ本でも読んでみるか、という余裕や時間。そういうものを提供したいという考えに、最終的に辿り着きました。だから、『本を読む姿勢』が保てていれば、極論、本を読まなくてもいいんです」

コンセプトが決定し、数字上のシミュレーションを済ませ、本格始動に入ったのは2017年1月。ホテルのプロデュース会社、設計会社、日販のプロジェクトメンバーが一堂に会し、定例会議がスタートした。外部の協力を仰ぐ中で、染谷には心がけていたことがあった。

「後はやっておいてください、じゃなくて、僕はこう思います、という意見を必ず出すようにしていました。ホテルマネジメントに関しては完全な素人ですが、本については僕たちの方がプロ。僕たちだからこそ、提案できることがあると思ったんです」

だが、プロジェクトマネージャーという華やかな肩書きとは裏腹に、染谷の仕事の大半は「雑用」だった。

「開業するにあたり、申請書類がたくさんあるんです。箱根町や小田原市に、いろいろと届け出すものがある。数えたら57項目もありました。そういった一つ一つの項目に対処するのが施主の役目であり、プロジェクトマネージャーの仕事。あまりにもやることが多いので、そのうち雑用のことを勝手に『ネオ雑用』と呼ぶようにしたんです。そうやって面白がった方が、仕事も楽しくなるし、なんでもない雑用であっても、工夫が生まれると思ったんですよ」

最初から最後まで、人。最初から最後まで、人。

小田原合同庁舎に許認可のヒヤリング、小田原警察署に古物商許可証の申請、不動産屋に物件の細かい点の相談、温泉業者に新規口数増加のための相談、物件のガス開栓立会い、駐車場契約手続き…。プロジェクトが大詰めを迎える頃には、「ネオ雑用」の業務はさらに煩雑になっていった。

「僕の役割は、今自分たちがどの時点にいるかを常に把握すること。150項目以上のタスク表、進捗表を常に持ち歩いて、走り回っていました」

現場では想定外のこともあり、施主としてその場で判断を下さなければならないことも多々あった。

「たとえば『天井を開けてみたら、配管の位置が違っていた。直すならさらに100万かかるけれど、どうしますか?今決めてください』と施工会社から言われたりするわけです。すぐ判断できるように、施工中は現場に張り付いていました」

強羅にある「箱根本箱」と、東京・御茶ノ水にある日販本社。双方を行き来する多忙な生活。現場の責任者としてのプレッシャー。極度の疲労のなか「何度も心が折れそうになった」と染谷はいう。だが、最後まで折れなかったのには訳がある。

「動機と実行、はじまりとおしりに、なるべく熱量の差がないこと。頭でっかちになって、行動が伴わないようにしないこと。そういうことを常に意識していました。たくさんの人の力が集まって、今回のプロジェクトは成り立っている。“最後はやっぱり人”だとよくいうけれど、そもそも最初から人だし、“最初から最後まで人”なんですよ。僕一人が、途中で弱音を吐くわけにはいかなかった」

本のある「場所」をつくりたい。本のある「場所」を
つくりたい。

開業は、2018年8月。納期の遅れは絶対に許されない。だが、想定外の事態が度重なり、徐々に工期に遅れが出始める。

「毎週、施工会社と打ち合わせをするのですが、毎回、進捗が遅れて報告が上がってきていて。現場の負担を減らせるように、できることは自分たちでやるようにしました。ちなみに開業前夜、シアタールームの配線をやっていたのは僕たち日販メンバーです(笑)」

作業は開業前夜まで及んだものの、当初の予定通り、2018年8月1日に「箱根本箱」がオープンした。ブックホテルという新しいコンセプトが注目を集め、多くのメディアの取材が殺到。好調なスタートを切っている。

だが、染谷はすでに次に目を向けていた。

「『箱根本箱』のような場所ができれば、これまで本屋さんで活躍していた人に、新たな活躍の場を提供できたりする。そういう道筋を、もっとつくっていきたいんです」

「“新しい本屋”をつくってくださいと言われても、僕にはできない気がするんです。でも、“新しい本のある場所”をつくってくださいと言われれば、きっとできると思う。数万冊という単位だから出版流通事業には大きなインパクトはないかもしれない。でも“風”というか“ムード”をつくることができる。それが結果的に流れを変える大きな一歩になると思うんです」